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原 勝郎(はら かつろう、1871年4月15日(明治4年2月26日) - 1924年(大正13年)1月12日)は、日本の歴史学者。文学博士。 ==経歴== 岩手県盛岡市出身。旧盛岡藩士・原勝多の長男として生れる。盛岡中学校、第一高等学校を経て、東京帝国大学文科大学史学科を卒業し大学院に進む。1896年12月から一年志願兵として近衛歩兵第4連隊に入営。1899年2月、陸軍歩兵少尉に任官し、1904年、歩兵中尉に進級。 1899年9月、第一高等学校教授となり、1902年10月、文学博士号を取得。1907年2月から1909年3月までイギリス、フランス、アメリカに留学。帰国後、京都帝国大学文科大学教授に就任した。1922年4月から1924年1月まで文学部長を勤める。和辻哲郎や西田幾太郎らと同僚であった。 専攻は西洋史だが、日本史にも通じていて日本通史を英語で執筆・出版したことでも知られている。また西洋史の研究を通じて日本にも西洋史の中世と同じようなものがあったことを指摘し、それは他のアジア諸国と日本との違いであると主張した。 『吾妻鏡』の史料としての価値と限界についてなど、鎌倉時代について文化史から考察論考を書いている。 1924年、直腸癌と癌性腹膜炎のため京都で死去〔服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』(吉川弘文館、2010年)243頁〕。墓所は盛岡市の法華寺にある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「原勝郎 (歴史家)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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